2010年 04月 29日
未熟者
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自分で自分を眺めることは出来ない.
自分の考える自分像と,人の目に映る自分像とのギャップにはいつも戸惑いを覚える.
例えばスタッフ.
最近ではうちにも入所を希望するスタッフがたびたびやってくる.皆さん,うちで働きたいという熱い思いをそれぞれの胸に抱えてやってくる.うちの事務所もそうそう余裕はないので,なかなかそれらに全て応えることはできないのだけれど,数ある事務所の中からうちを選んで下さったことには率直に嬉しく感謝を覚える.
ただ,なんでうちなんだろう?といつも思う.
今働いてくれているスタッフも,それぞれにきっと訳あってやってきたのだろうと思うのだけれど,自分ではその訳がいまいちよくわかっていない.
例えば学生さん.
過去に教えた学生さんや,そして今教えている学生さんもたびたび事務所に遊びにきてくれる.このGW期間中にもいろいろやってくるようだ.それなりに僕のことを慕ってくれているようでとても嬉しく思う反面,やっぱり自分ではよくわかっていない.学生の目からは僕なんかはどんな風に映っているんだろう?
そしてクライアント.
うちの作風を気に入りご依頼下さる方の中には,とても情熱的にうちの住宅の魅力を語って下さる方もいらっしゃる.とても嬉しい.心から信頼してくださり,僕もまたこのお施主さんのためにと思う.ただお施主さんの熱い思いを受け止めるたびに,そのお相手は僕で良いのだろうか?と思う.僕のどこにそんな力量や魅力などあるのだろうと,一方の醒めた頭でいつも考えてしまう.
大学などでは,日常的に雲の上の存在のような建築家の方々とご一緒する.そんな建築家たちの建築に対する鋭い洞察力や眼差しに触れるたびに,いつも自分などまだまだだという気持ちにさせられる.実際足下にも及ばない.
未熟者.いつも自分のことをそう思う.
それでも,ささやかながら自分を支えてくれている家族や優秀なスタッフ,そして感度の高いクライアントの方達のおかげでなんとかやっていけている.人間,まじめに生きていれば周りの人がなんとかしてくれるようだ.
今日はクライアントと一緒に新しい敷地を見に行った.
そこでクライアントの6歳になる娘さんから,昨晩作ったという刺繍をプレゼントされた.
こういうつながりこそが僕をこの仕事にのめり込ませる.こんな僕を慕ってくれる一握りの人たちのために,誠心誠意尽くしたいと思う.
自分の考える自分像と,人の目に映る自分像とのギャップにはいつも戸惑いを覚える.
例えばスタッフ.
最近ではうちにも入所を希望するスタッフがたびたびやってくる.皆さん,うちで働きたいという熱い思いをそれぞれの胸に抱えてやってくる.うちの事務所もそうそう余裕はないので,なかなかそれらに全て応えることはできないのだけれど,数ある事務所の中からうちを選んで下さったことには率直に嬉しく感謝を覚える.
ただ,なんでうちなんだろう?といつも思う.
今働いてくれているスタッフも,それぞれにきっと訳あってやってきたのだろうと思うのだけれど,自分ではその訳がいまいちよくわかっていない.
例えば学生さん.
過去に教えた学生さんや,そして今教えている学生さんもたびたび事務所に遊びにきてくれる.このGW期間中にもいろいろやってくるようだ.それなりに僕のことを慕ってくれているようでとても嬉しく思う反面,やっぱり自分ではよくわかっていない.学生の目からは僕なんかはどんな風に映っているんだろう?
そしてクライアント.
うちの作風を気に入りご依頼下さる方の中には,とても情熱的にうちの住宅の魅力を語って下さる方もいらっしゃる.とても嬉しい.心から信頼してくださり,僕もまたこのお施主さんのためにと思う.ただお施主さんの熱い思いを受け止めるたびに,そのお相手は僕で良いのだろうか?と思う.僕のどこにそんな力量や魅力などあるのだろうと,一方の醒めた頭でいつも考えてしまう.
大学などでは,日常的に雲の上の存在のような建築家の方々とご一緒する.そんな建築家たちの建築に対する鋭い洞察力や眼差しに触れるたびに,いつも自分などまだまだだという気持ちにさせられる.実際足下にも及ばない.
未熟者.いつも自分のことをそう思う.
それでも,ささやかながら自分を支えてくれている家族や優秀なスタッフ,そして感度の高いクライアントの方達のおかげでなんとかやっていけている.人間,まじめに生きていれば周りの人がなんとかしてくれるようだ.
今日はクライアントと一緒に新しい敷地を見に行った.
そこでクライアントの6歳になる娘さんから,昨晩作ったという刺繍をプレゼントされた.
こういうつながりこそが僕をこの仕事にのめり込ませる.こんな僕を慕ってくれる一握りの人たちのために,誠心誠意尽くしたいと思う.
by riotadesign
| 2010-04-29 16:23
| 思うこと