2009年 08月 07日
なごり雪と代数のノート
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「百日紅の家」のお施主さんより素敵な胡蝶蘭を頂いた.その名も「なごり雪」.
涼風が通り抜けてゆくような涼しげな名前と,その清楚な佇まいに癒され,事務所の窓辺も一気に華やいだ.聞けばお施主さんはうちの事務所に合うように,ずいぶんと品定めをして下さったらしく,その心遣いがとても嬉しかった.
昨日はそんなお施主さんとの着工前の打合わせがあった.
今回は二世帯住宅で,その席で施主のお母様がおもむろに出してきたのは,お施主さんの中学時代の”代数”のノートだった.何も懐かしむために出してきたのではなく,このノートの余白をまだ現役でメモ代わりに使っているらしかった.これには一同びっくり!まだこんなノート取ってあったの!?と少し黄ばんだノートの表紙にお施主さんも目がテンになっていた.
そしてもう一つ驚かされたのは28年前の引越しの記録.
金額,どの箱に何を詰めたか,その際の普請で大工さんに何を差し入れ,上棟には何を用意し,いくらかかったかまで全てノート(こちらは小学校の!)に記録されていて,それをどこからともなく出してきては,まるで昨日のことのように話し始める.
この詳細な記録を続けてきたためか,このお母様はこちらが舌を巻くくらい抜群に記憶力がよい.僕なんかは,目先のことだけをパッパとメモって,終われば丸めて捨ててしまう.そのせいか,目先の段取りだけは頭に入っているが数年前の記憶はもはやおぼつかない.
お母様は何でも”捨てない”主義で,お施主さんからの設計相談も,まず「いかにお母様に膨大な荷物を捨てて頂くか」だったように記憶している.さすがに今回の住宅に全ては持ち込めないので,お母様も決心したらしく膨大な身辺整理を続けて下さっているが,今回の一件では僕も目から鱗で考えさせられることが多かった.
現代を生きる僕らは既に電脳世代で,膨大な記録や計算はパソコンが肩代わりしてくれるようになった.しかし薄っぺらい電子情報は,きっと磁気嵐が吹けばすべて消し去られてしまうだろう.ところが物質は残る.そしてノートの片隅に鉛筆で丹念に綴られた記録もまた,数百年後にもまだ風化せずに残っているに違いない.物とは記憶そのものであり,住宅もまた,ある意味人生のハードディスクだともいえる.
今回ハードディスクを最新のものに交換する.残念ながら,規格に対応しない情報は取り込むことはできない.「建築とは記憶の継承である」とある建築家は言う.ただそんな言葉にくるまれて,物質は次々とフォーマット(抹消)されてゆくという現実は実に残酷だ.
しかし現実がある.お母様には物質ではなく,そのしっかりとした記憶力を便りに,
新しい生活をその上から刻んでいってもらいたい.
それでも敢えて言うならば,やはり建築は記憶の継承であってほしいと強く希うのだった.
by riotadesign
| 2009-08-07 10:14
| 仕事